北海道・岩内町の歴史とニシン文化に触れる観光ルート

 実在の”いにしえ”の漁師・和次郎氏ゆかりの地と、ニシン漁の伝統と歴史に触れるバスツアーを不定期で開催しています。

 「伝統の漁師めし・岩内鰊和次郎」のブランド名は、明治時代の岩内に実在した漁師・和次郎の名前にちなんみました。岩内町内には、現在でも「和次郎」氏ゆかりのある地蔵が現存しており、江戸時代から栄えたニシン漁の伝統を今に伝えています。

 このページでは岩内町内の和次郎氏にゆかりのある地を紹介し、岩内町のニシン漁の歴史や文化に触れることができるルートを紹介します。

北海道・岩内町の歴史

岩内町全景

 日本海に面した北海道岩内町は、すでに室町時代から和人が定住していたと伝えられており、北海道の日本海沿岸部は内陸部と比べ早くから開けていくことになります。

 江戸時代の1604年(慶長9年)になり蠣崎(後の松前氏)慶広が、徳川家康から「黒印状」を得て蝦夷地とそれに続く樺太と千島支配を公認され初代松前藩主となると、岩内にも和人地における魚場とアイヌとの交易場を統治する岩内場所が開かれ、岩内の発展がはじまります。

 同時に大坂をはじめとした本州各地と蝦夷地を結ぶ北前船による航路も整備され、ニシンやサケ、昆布などは当時の蝦夷地の経済を支える重要な産品となり、北海道特産品の礎を築きます。

 一方で、江戸時代中期の1700年代に入るとロシアは東方に目を向け始め不凍港を求めた南下政策を開始します。1700年代後半に入ると、ロシアは千島列島に現れたびたびアイヌと抗争を起こすようになったことから、江戸幕府はロシアに対する警戒心を高め、幕末になると蝦夷地を幕府直轄地として北方防衛と開拓を推し進めることになりました。

 岩内においても、1700年代後半から神社やお寺が建立されることになり、江戸時代には市街地が形成されていき、やがてニシン漁の豊漁に沸く時代が訪れます。

 和次郎氏もそんな激動の幕末に、当時の弘前藩だった青森県・鰺ヶ沢から北海道・岩内へと移住し、ニシン漁に携わり北海道の経済を支えた漁師の一人でした。

岩内町の明治時代のニシン漁の様子

1.岩内町郷土館

 岩内町郷土館では、ニシン漁によって発展してきた岩内町のこれまでの歩みを当時のニシン枠船などとともに展示をしており、岩内町の歴史を振り返ることができます。まずは、岩内町郷土館を訪問されると、岩内町がどのような街なのか理解を深めることができます。

2.岩内神社

 岩内神社は、江戸時代後期の1789年(寛政元年)に建立されました。岩内神社に祀られている神様の一つは応神天皇で、陸上・海上の交通安全の守り神とされており、ニシン漁で栄えた港町由来の神社となっています。また、漁業・運輸のほか五穀豊穣や国家平穏の祈願も行われています。

 岩内神社で、例年7月に開かれる例大祭は北海道の神社の中でもかなり格式の高いもので、神社の資料館ではこれまでの例大祭の歴史や過去100年間に渡って使われてきたおみこしを実際に見ることができます。

 岩内神社が建立された1789年(寛政元年)は、フランス革命が起きた年でもあり、ロシアがたびたび北海道近海へと姿を見せ始めていた時期と重なります。1972年にはロシア公式遣日使節ラクスマンが根室に来航。ロシアの南下政策に対して危機感を強めた江戸幕府は、1799年(寛政11年)に蝦夷地を幕府直轄地とし、東北4藩の武士を蝦夷地に駐留させ北方警備を行うことになりました。

3.全修寺(現在はバスツアーのみ対応)

 全修寺も、歴史が古い曹洞宗のお寺で、江戸時代後期の1857年(安政4年)に開かれました。

 全修寺は、漁師・和次郎氏が2番目の檀家として記録が残っているお寺で、既に江戸時代から岩内に定住していた人々が今でも檀家としてお寺を支えています。

 明治維新後、岩内に新政府の役場が出来たのは1869年(明治2年)で、江戸時代から岩内に定住をしていた人々の戸籍の記録を遡れるのは1869年(明治2年)までですが、岩内は江戸時代から、北前船を通じて本州各地との交易があり、和人が定住しニシン漁が行われていました。和次郎氏も江戸時代後期には岩内町に定住していた漁師の一人でした。

 また、全修寺は、港町のお寺ということもあって、全修寺で祀られている身替地蔵尊や、岩内神社の後にご案内をする円山観音は、海や漁業とのかかわりは深いエピソードがあります。

 身替地蔵尊は、1881年(明治14年)に京都の仏師によって作られ、はるばる船で岩内まで運ばれてきましたが、途中、船が嵐に合い難破。船員は全員助かるもこの地蔵のみが海中に没し、船員の身代わりになったと言われ、その後、海中より引き上げられ、全修寺に身替地蔵尊として祀られています。

 漁業の町・岩内は、海で命を落とす人が後を絶たず、町民は、海での安全を願って、身替地蔵尊のご加護に預かろうと身替地蔵尊御腹帯が広まることになりました。

身替地蔵尊

4.円山観音

円山観音入口

 円山観音は、岩内町を見おろす山の中腹に位置するパワースポットで、2体の観音像のほか、多くの地蔵が安置されています。円山観音が開かれたのは、1914年(大正3年) 10月のことで、最初の33体の地蔵は小樽市の仏師・岩崎喜作氏によって作られました。

 道路わきにある「円山展望台 遊歩道 入口」の看板が目印になります。

 多くの地蔵は円山展望台に続く遊歩道に沿って安置されており、この中には「伝統の漁師めし・岩内鰊和次郎」のブランド名の由来となった実在の漁師・和次郎氏の長男が建立した地蔵も含まれています。大正時代の岩内では、海で命を落とす人が後を絶たず、こうした岩内町民の悲しみを癒し海の安全を願い、それぞれの想いかを持ちながらそれぞれの地蔵を立てていったと言い伝えられています。

 また、これらの地蔵の中には、現在も岩内町内で営業を続けている大門旅館の曽祖父が石工として立てたものも数体あり、岩内町民にとってもゆかりの深いパワースポットです。この円山観音の敷地については全修寺が管理をしています。

和次郎氏の長男の勇次郎氏が父を偲び海の安全を願って建立した地蔵。勇次郎氏の名前も刻まれている。

5.道の駅いわない

 「伝統の漁師めし・岩内鰊和次郎」は、道の駅いわないでもお求めいただけます!

 道の駅いわないは、1993年(平成5年)に北海道で14番目の道の駅として開設されました。道の駅向かいにある岩内バスターミナルは、1985年(昭和60年)まで国鉄岩内線の岩内駅があり、岩内駅跡地がバスターミナルと道の駅駐車場用地として転用されました。

 国鉄岩内駅は、岩内漁港に隣接した場所に開設されていたことから、1960~1970年代の鉄道貨物最盛期には、岩内漁港に水揚げされたニシンをはじめとした水産物の輸送で活況を呈しました。

6.お土産には「伝統の漁師めし・岩内鰊和次郎」を!

 ご自宅では、北海道岩内町の歴史と当時の漁師の思いを感じながら、伝統の漁師めし・岩内鰊和次郎を味わっていただくことが出来れば幸いです。