「伝統の漁師めし」商品化への想い
「俺の言ったことが新聞記事になっていない!」
製造委託先社長「大激怒」の上「食品検査失念の納期トラブル」を乗り越えて
北海道岩内町は、北海道屈指の観光都市として有名な小樽市からクルマで約1時間、北海道新幹線の新駅建設が進む倶知安町からはクルマで約30分の距離に位置する日本海沿岸の港町だ。

■室町時代から和人の村があった岩内
北海道と言えば、明治維新以降に屯田兵に代表される大規模な開拓団が組織され、国内各地からの移住者によって拓かれた土地であるという印象を持たれている方は多いが、岩内町の歴史は古く鎌倉時代から室町時代にかけてすでに和人の村が拓かれ漁業やアイヌとの交易が行われていた。
江戸時代になると、徳川家康から蝦夷地と呼ばれていた北海道の統治者として認められた松前藩が成立。松前藩は、米が取れない無石の藩であったことから「商い」が藩財政の支えとなっており、北海道はもとより樺太や千島列島各地に「商場(あきないば)」という漁業やアイヌとの交易拠点を整備。岩内にも、松前藩直轄の「商場」が置かれ、ニシン漁と北前船による交易を中心に大きく栄える。
■実在した漁師「和次郎」の名をブランド名に!
筆者の母方の6代前に当たる祖先も、江戸時代末期に豊漁に沸くニシンの魚場を求めて、現在は青森県となった津軽藩の鰺ヶ沢から岩内へと移住したニシン漁師の1人で、その後、鮮魚卸商に転じた尾崎和次郎といい、現在でも岩内町内には和次郎の長男が漁師だった父を偲び、海の安全を願って建立した地蔵が現存している。
こうした岩内町の歴史と伝統を背景に、地域の目玉となるブランドを作れないかと岩内商工会議所からの相談を受け商品化をしたのが「伝統の漁師めし・岩内鰊和次郎」だ。江戸時代から岩内で水揚げされたニシンはその多くが北前船による交易ルートを通じ北陸や関西方面へと出荷されていき、京都ではニシンそばの文化をはぐぐんだ。北海道の日本海沿岸では、このニシンを保存食として、糠と塩に漬け込んだ発酵食品「糠ニシン」が郷土の味として親しまれてきた。
この「糠ニシン」は地元の漁師や鮮魚店の家庭でお茶漬けとしても親しまれており、町外の方に手軽に親しんでもらうためにはちょうど食べやすいものであったことから、この糠ニシンのお茶漬けを、漁師・和次郎氏の名前を付けて「伝統の漁師めし・岩内鰊和次郎」として商品化することに決めた。

■地域の歴史や文化に根差したものが本来の「ご当地グルメ」
2010年頃にご当地グルメブームを起こしたB-1グランプリでは、地域の歴史や文化に関係なく「地域の食材を寄せ集めて頑張って作りました!」的な即席ご当地グルメが日本中に蔓延したこともあり、そうしたことへの反骨精神もあって改めて地域の歴史や伝統に根差したグルメの情報発信の重要性を感じていたことも「伝統の漁師めし」商品化の背景にあった。
伝統の漁師めしの商品化の際には、B-1グランプリ主催団体の会長で、静岡県の富士宮やきそば学会会長の故・渡邉英彦氏とも富士宮やきそば学会のアンテナショップで意見交換をさせていただく機会を得ることができ「B-1グランプリのご当地グルメ以降は、地域の歴史や文化と関係ないご当地グルメは、B-1グランプリには出場させない方針になった」という話しも聞いた。
■製造委託先社長の納期トラブルで「プロジェクト崩壊」へ
しかし、いざ商品化を試みたところ多くの困難が立ちはだかった。
重要な味の部分などは、同じ岩内町内の高島旅館さんの協力を得て関係者の試食会などを行い、子供からお年寄りまで親しんでもらえるように、出汁をあっさり目とし高圧釜で調理することでニシン特有の小骨も気にならないような仕様とすることに決まった。
製造に関しては、岩内町役場の斡旋により同じ岩内町内の水産加工会社にお願いすることになったが、ここの社長が曲者だった。この水産加工会社の社長から商品の納期の連絡を受けたこところで、筆者は、「伝統の漁師めし」の取り扱いについて各販売店さんを回り、販売日を決定。地元新聞社の取材も受けた。
しかし、納期の直前となりこの水産会社の社長から「必要な検査を失念していたので仕様通りの納品が出来ない」と連絡があり、筆者の頭は真っ白に。販売店さんには取り敢えず「暫定使用」で販売をしてもらう承諾を取り付けたが、この漁師めしの新聞記事が掲載になると今度はこの社長から「自分の言ったことが記事になっていない」と大激怒した電話がありその後、連絡が付かなくなった。
「伝統の漁師めし」プロジェクトは一旦、崩壊し、これまで行ってきた努力が全て水泡に帰してしまうことにはなったが、筆者はあちこちに話を持って行っている以上は引き下がるわけにはいかなかったので、頼れる限りのツテをたどり様々な方々のお力添えを得ることができ、別の水産加工会社のもとで安定生産の目途を立てることができた。
■コロナ禍を乗り越えて「伝統の漁師めし」普及を目指す
しかし、一難去ってはまた一難である。商品製造が安定し積極的な「伝統の漁師めし」の普及PR活動を行っていたところでコロナ禍に直面した。一時期は、過剰在庫を抱えてしまうことにはなったものの必死の営業活動で商品を売り切り、在庫ロスゼロでどうにかコロナ禍を乗り切ることができた。
2023年になりコロナ禍による行動制限もほぼ解除されるようになり、「伝統の漁師めし」の試食販売も行いやすい環境が整ってきた。北海道の片田舎である日本海沿岸の港町の岩内町から、江戸時代からの漁師が愛した「伝統の漁師めし」普及の取り組みを粘り強く続けていきたいので、共感をいただけた方には今後も応援をしたいただけると大変うれしいです。

(了)